2007,ルーキーyear
2007年12月17日
私のネームを「rookie」にしたのは、
今年、私が、いくつかのことをはじめたから。
そのひとつが「人前での演奏」。
ギターです。
今から32年ほど前、中学から高校時代、
私は4つのバンドを同時に持っていました。
・jazz研究会
私の高校に伝統あるjazz研究会というサークルがありました。
私はウッドベースにチャンレンジし、
8千円で「日本楽器」のアルトサックスを買い、
結局、やっぱりギターに落ち着きました。
ただし、レパートリーは1曲。
ウエスモンゴメリーの「Softry as morning in sunrise」
オクターブ奏法。
・ジュリーバンド
当時、沢田研二がソロになって、
ガンガンヒット曲を飛ばしていた頃。
ヴォーカルの上手なヤツがいて
(結局、声優として活躍したヤツ)
彼を中心に、井上孝之バンドのつもりで、
バックをやってました
・ハードロックのバンド
レッドチェッペリン、ストーンズ、ドゥービーブラザーズなど。
私はアコースティックギターで、
「天国への階段」と「悲しみのアンジー」だけ参加。
YAMAHAポプコン広島大会で、
テープ審査96本中の20本かなにかに、まず通過。
その中から8バンドの中に、通過。
予選ライブに出て、落選。
ということで、ベスト8進出でした。
・「隠恋慕」
これまでの3つのバンドのバンマスをやっていたのは、
実は、このバンドのために、
イケてるギターや、しっかりとしたドラムスや
うまいベースの連中をつかまえること。
で、私がやりたかった、「はっぴいえんど」のコピーバンドが、
このバンドです。
私は「大滝詠一」役。
********************************
この4つのバンド以前に、
中学3年に初めてバンドを組んだのが、
ヘンテコな編成。
バイオリンの好きな先輩に集められて、
ギター、ベース、ドラムスに、バイオリンという編成。
演奏曲は、なんでか「赤色エレジー」と、
クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング。
私は「二ールヤング」役で、
「サザンマン」とか「Hellpless」とかをやってました。
それ以前に一度、2歳年上の兄と、
ふるさとの尾道で、何かのフォークコンテストの尾道予選に出ました。
審査員に六文銭のギターの方が来ていたような・・
ただ、YAMAHA主催のそのコンテストで私と兄がやったのは・・
1970年に復活のテレビSHOWに生演奏で出演した
エルビス・プレスリーの「ラウディ・ミス・クラウディ」。
アコギ2本での、ロッカバラードでした・・
もちろん、六文銭の審査員から
「これは、対象外の曲ですよね・・・」的なコメントをいただき、落選。
**************************************
10代の多感な頃のバンド活動。
人前に出ることに何の疑問もなく。
とにかく「したいことを、していた」ストレートな時代。
で、今年、人前で演奏することにしました。
私の仕事は、ずーーーーっと、いわゆる「裏方」という仕事でした。
出演者を立て、主催者の語りたいことを、
あれこれの手練手管で実現する。
本番のときには、舞台袖や調光室や、
客席最後部に立っている。
Webを始めてからもプランをし、
プロデュースをする。
広告、プロモーションの仕事でも、
私そのものはデザインをしたりコピーを実際に書く
クリエーターではなく、
クリエィティブディレクターであったり、
プロデューサーであったり。
そういう「仕掛ける」側の仕事でしたから。
それが好きでしたし。
で、今年、半世紀。
で、いっちょ、人前で「自分そのもの」を出してみようかと。
5月・・仲間内の送別会ライブで、前座で32年ぶり、演奏。
7月・・初めて入った「海人」で、事前準備なしで1曲半、反省。
9月・・「グラファン」の20周年ライブに、前日お店に行ったときに言われて、
出演。少し、練習の成果でるが、同録されたCDを聞いて・・・再度、奮起。
10~11月・・「闘うオヤジ応援団」というNPO活動に遭遇。
四国SPのお店「slow step」に、恐る恐る、ネットだけ見て思い切って参加。
2回、「練習会ライブ」に参加。
場数で度胸を稼ぐ。
12月・・14日「緋色天幕」ライブに、きちんと参加。
少しの進化を自分でも実感。ちょこっとづつでも、前進。
今後
12月23日・・再び「グラファン」。武田オーナーが快く声を掛けてくださいました。
9月のときから進化した私で、恩返し?
12月24日・・「Ruff House」クリスマス「パイ投げ」ライブに。
自分の曲を1曲で、もう1曲はクリスマスSONGを、という掟。
これが、まだ、決まらないというピンチ。
「あしたさぬき。ニナレ」の吹奏楽楽譜は出て来たものの、
旋律をHOUSEに口写しで教えてもらったものの、
まだ、演奏するまでには至らないし。
******************************************
ペケペケの手習いの今年、ルーキーイヤーは「ライブ出演」
でも、本当の夢は、3,4年前から周りに公言をしていますが、
”ストリートで演奏すること”
そう、オヤジ・ストリートミュージシャンです。
酔っ払いたちがヨロヨロ歩く夜の丸亀町や南新町の隅っこで、
若い連中に混じって、ストリートでパフォーマンスしたい。
まだ少し足りない「きっかけの勇気」がいつか舞い降りることを、
自分自身に期待しながら、
楽しみに、待っていることろです。
*********************
で、遂に顔出しです。
心境の変化進化鈍化。で、しょうか。
Posted by rookie1957@ストリート at
08:02
│Comments(0)
追憶。梅健さん。
2007年12月13日

梅村健一様
10年くらい前になるでしょうか。
初めて仕事をご一緒させていただきました。
生バンド演奏でのレビューショーを、
毎日まいにち、年間を通じて半野外のステージでやる。
そんな企画でプレイヤーとしてキャスティングされた梅さんに、
お会いしました。
クセのある個性的なミュージシャンの皆さんと、
我々企画・演出サイドはいつも仲良く、とはいきませんでしたね。
でも、梅さんは淡々とプレイをしてくださっていたと記憶しています。
東京や全国から舞台に乗るために集ってきている、
10数人のダンサーたちにも、慕われていたのではないでしょうか。
昨年、2006年に、るいままのイベントで久しぶりに演奏する姿を見て、
その年の暮れの仕事をお願いしました。
私も、あんなふうに渋く自由に、歌えるといいなぁと。
今年、人前で演奏することを始めたひとつのきっかけでもありました。
ご冥福をお祈りします。
*****************************
人間、年を重ねてゆくと、別れに遭遇する機会も増えて来ました。
これも、半世紀生きてはじめて知る感覚。
自分史の中に、
人との出遭いと別れはつきものです。
合掌
Posted by rookie1957@ストリート at
11:09
│Comments(0)
自分史を、はじめてみる。
2007年12月02日
この「あしたさぬき」に、「自分史」というカテゴリがある。
と、他人事のように言っていますが。(笑)
この自分史というカテゴリが、
10代の多感な若い方から、
60代、70代の諸姉諸兄の皆さんまで、
年齢性別に関わりなく、
自分をどこかに残したいというぼんやりとした欲求があるのではないだろうかと。
そんな「推論」からつくってみました。
ブログという文化が広まってから、
きっと、それぞれのブログが「自分史」なのかも知れません。
ある意味。
このまま時代が重ねられ、
サーバも無事であったなら、
今のブロガーの子供や孫達は、
「ああ、私のおじいちゃんやおばあちゃんは、
こんなこと考えながら暮らしてたんだ。」と、
知ることができるかも知れません。
夫婦となると、少し話はややこしい?(笑)
どちらかが先に逝って。
残された方が初めて連れ合いのブログを発見して。
そこに記されていることが、
その後の遺された周囲のひとたちにどんな影響や、
気持ちを与えるのか・・。
ま、なんとか、なるでしょう。
水は、高いところから低いところにしか流れませんから。(笑)
で、ここの自分史、いえ、私の自分史。
○○年△月、こうだった。
とかいう、無作為編年体でやってみようかと。
殺人的な多忙缶詰状態が少し和らいだら、
書き始めたいと思っています。
最初は、いつにしようかなぁと。
「1984年3月頃、東京のアパートを引き払って、レンタカーで2トン車を借りて、
自分の運転でこの四国・香川に、丸亀の土器川のほとりに流れ着きました。」
に、しようか。
「私が弦楽器に触れたのは、今から40年ほど前、小学校4年か5年。加山雄三のウクレレを見て、
はじめた記憶があります。」
に、しようか。
「ことしが、なぜ私にとって『ルーキーyear』なのか。それは、3つのルーキーなことを、
しでかし始めたからです。2007年5月・・・」
と、しようかなぁ。
また、考えます。
と、他人事のように言っていますが。(笑)
この自分史というカテゴリが、
10代の多感な若い方から、
60代、70代の諸姉諸兄の皆さんまで、
年齢性別に関わりなく、
自分をどこかに残したいというぼんやりとした欲求があるのではないだろうかと。
そんな「推論」からつくってみました。
ブログという文化が広まってから、
きっと、それぞれのブログが「自分史」なのかも知れません。
ある意味。
このまま時代が重ねられ、
サーバも無事であったなら、
今のブロガーの子供や孫達は、
「ああ、私のおじいちゃんやおばあちゃんは、
こんなこと考えながら暮らしてたんだ。」と、
知ることができるかも知れません。
夫婦となると、少し話はややこしい?(笑)
どちらかが先に逝って。
残された方が初めて連れ合いのブログを発見して。
そこに記されていることが、
その後の遺された周囲のひとたちにどんな影響や、
気持ちを与えるのか・・。
ま、なんとか、なるでしょう。
水は、高いところから低いところにしか流れませんから。(笑)
で、ここの自分史、いえ、私の自分史。
○○年△月、こうだった。
とかいう、無作為編年体でやってみようかと。
殺人的な多忙缶詰状態が少し和らいだら、
書き始めたいと思っています。
最初は、いつにしようかなぁと。
「1984年3月頃、東京のアパートを引き払って、レンタカーで2トン車を借りて、
自分の運転でこの四国・香川に、丸亀の土器川のほとりに流れ着きました。」
に、しようか。
「私が弦楽器に触れたのは、今から40年ほど前、小学校4年か5年。加山雄三のウクレレを見て、
はじめた記憶があります。」
に、しようか。
「ことしが、なぜ私にとって『ルーキーyear』なのか。それは、3つのルーキーなことを、
しでかし始めたからです。2007年5月・・・」
と、しようかなぁ。
また、考えます。
怒られながらも、宣伝を。
2007年12月01日
11月30日の山本先生、陶山先生の講演会あとの、懇親会。
宴もたけなわ。
かなりお酒の入っている山本先生の隣の座布団に座って、
名刺交換しながら・・
「実は、先生に聞いていただいて、だめか面白いかを教えて欲しいことがあるんですが」
Y先生「ふむ。なんじゃ。」
「世界初かも、の事業が、あした、世にでるんです。」
Y先生「そりゃ、おめでとう。で?」
「地域ブログのポータルなんですが、そのTOPページに、あしたのことが載るンです。」
「毎日まいにち、あしたのことが、載るんです。」
Y先生「そりゃ、いいじゃないか。」
「世界初かも、と、自分で言っているんですが、どこかにあります?」
Y先生「いや、ないだろう。ここで、皆さんに紹介したらどうだ。」
「いえいえ・・・(と、ちょっと謙虚にしてみる・・)」
と、その反応に気を良くした私が、コンセプトとか、
既存のメディアとの違いをあれこれまくしたてはじめると、
Y先生、
すーーっと、気のない返事になりはじめて(苦笑。失礼しました、先生)
で、その場は、退散。
で、宴席の最後。
先生が5名のスピーカーを指名して(その中に私は入れてもらえなかったんですが・・)、
皆さんの本日の感想のコメントが終わり。
Y先生「ほかに、この機会にコメントしたいひとは??」
と、口火を切ったんですが、謙虚と小心な私はなかなか手を挙げられずにいましたが・・
と、既存メディアの雄にお勤めのH氏が、私の名前を口にして。
ありがたく、立ち上がった私に、なんとY先生が掛け声を。
「PRするんじゃないぞ」
「ええ!!」と、動揺する私。
でも、よかった。「ぺけぺけの手習い」の「ぺけぺけ歳」を越えていたおかげで、
大先生の度々のちゃちゃ、いえ、ご指導を耳にもせず・・
「私は、今日の講演の素晴らしさを、とても30秒で言い表せないので、
ぜひ、あした、ハイフォン、さぬき、ジェーピーというブログに書きますので、
みなさま、ぜひ、アクセスいただいて、ご覧ください。ありがとうございました。」
と、Y先生が「するな」と言われた「PR」をしっかりと効果的にさせていただきました。
この宴席のほんの数時間前の、Y先生の熱い話しぶりに触れて、
私の進み方を後押ししていただいた効果が、
さっそく宴席のスピーチに役立ちました。
ありがとうございました。
とても有意義な、「グランドオープン」前日のひとときになりました。
西讃でブログ講習会に携わっていらっしゃいました皆様、失礼しました。
という、日記、思い出しながら書いてみました。
宴もたけなわ。
かなりお酒の入っている山本先生の隣の座布団に座って、
名刺交換しながら・・
「実は、先生に聞いていただいて、だめか面白いかを教えて欲しいことがあるんですが」
Y先生「ふむ。なんじゃ。」
「世界初かも、の事業が、あした、世にでるんです。」
Y先生「そりゃ、おめでとう。で?」
「地域ブログのポータルなんですが、そのTOPページに、あしたのことが載るンです。」
「毎日まいにち、あしたのことが、載るんです。」
Y先生「そりゃ、いいじゃないか。」
「世界初かも、と、自分で言っているんですが、どこかにあります?」
Y先生「いや、ないだろう。ここで、皆さんに紹介したらどうだ。」
「いえいえ・・・(と、ちょっと謙虚にしてみる・・)」
と、その反応に気を良くした私が、コンセプトとか、
既存のメディアとの違いをあれこれまくしたてはじめると、
Y先生、
すーーっと、気のない返事になりはじめて(苦笑。失礼しました、先生)
で、その場は、退散。
で、宴席の最後。
先生が5名のスピーカーを指名して(その中に私は入れてもらえなかったんですが・・)、
皆さんの本日の感想のコメントが終わり。
Y先生「ほかに、この機会にコメントしたいひとは??」
と、口火を切ったんですが、謙虚と小心な私はなかなか手を挙げられずにいましたが・・
と、既存メディアの雄にお勤めのH氏が、私の名前を口にして。
ありがたく、立ち上がった私に、なんとY先生が掛け声を。
「PRするんじゃないぞ」
「ええ!!」と、動揺する私。
でも、よかった。「ぺけぺけの手習い」の「ぺけぺけ歳」を越えていたおかげで、
大先生の度々のちゃちゃ、いえ、ご指導を耳にもせず・・
「私は、今日の講演の素晴らしさを、とても30秒で言い表せないので、
ぜひ、あした、ハイフォン、さぬき、ジェーピーというブログに書きますので、
みなさま、ぜひ、アクセスいただいて、ご覧ください。ありがとうございました。」
と、Y先生が「するな」と言われた「PR」をしっかりと効果的にさせていただきました。
この宴席のほんの数時間前の、Y先生の熱い話しぶりに触れて、
私の進み方を後押ししていただいた効果が、
さっそく宴席のスピーチに役立ちました。
ありがとうございました。
とても有意義な、「グランドオープン」前日のひとときになりました。
西讃でブログ講習会に携わっていらっしゃいました皆様、失礼しました。
という、日記、思い出しながら書いてみました。
Posted by rookie1957@ストリート at
21:29
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山本先生の講演会に行ってきました。
2007年12月01日
11月30日、あしたさぬきが生まれる直前日の、17時半から22時前まで。
セミナー聞いたり、懇親会でお酒飲んでる場合じゃないだろう!
と、いうタイミングに、博多~新山口~岡山の旅を経て、
果敢に参加。
率直な感想は、「私が異端児ではなくて、良かった」。です。
ネガティブなエクスキューズも言う必要がない。
という教えに従って。
私は、周囲に理解されようがされまいが、
自分の考えることを熱く述べ、
前進あるのみ。
で、いいのだと。
それを、実感できたのが、
本日の最大のシアワセ。
Thanks! やまちゃん。(笑)
タケウチさん。ありがとう。
声を掛けてくれなかったハナフサさん、ありがとう。
あしたさぬき。よろしく。
あしたは、きっと、今まで生きて来たなかで、一番いい日。
ちなみに、初「個人」ブログ。です。(祝)
セミナー聞いたり、懇親会でお酒飲んでる場合じゃないだろう!
と、いうタイミングに、博多~新山口~岡山の旅を経て、
果敢に参加。
率直な感想は、「私が異端児ではなくて、良かった」。です。
ネガティブなエクスキューズも言う必要がない。
という教えに従って。
私は、周囲に理解されようがされまいが、
自分の考えることを熱く述べ、
前進あるのみ。
で、いいのだと。
それを、実感できたのが、
本日の最大のシアワセ。
Thanks! やまちゃん。(笑)
タケウチさん。ありがとう。
声を掛けてくれなかったハナフサさん、ありがとう。
あしたさぬき。よろしく。
あしたは、きっと、今まで生きて来たなかで、一番いい日。
ちなみに、初「個人」ブログ。です。(祝)
Posted by rookie1957@ストリート at
09:32
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